信条
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信条(Tenets)は、ある宗派の最も重要な儀式(rites)、作法(rituals)、伝統(traditions)を表します。それぞれの宗派はこの3つを必ず持ちます。
新しい宗派を創設するときの信条を選択するための信仰点(piety)コストは、その宗派がどの宗教(religion)に属するかによります。信条のコストもそれが元の宗派に存在する場合は50%割り引かれます。
共通の信条[編集 | ソースを編集]
以下の信条はすべての宗教で利用可能なものです。
※説明文は日本語化MOD(CK3_JPM_PROJECT)の成果を使用しております。
信条 | 効果 | 美徳(Virtues) | 罪(Sins) | 最大信仰点コスト | 要求事項 | 説明 |
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適応性(Adaptive) |
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教義(doctrine)の宗教的態度(Religious Attitude)が多元主義(Pluralist) | 古い制約について独善的に固執するのは信仰者を傷つけるだけだ。我々が信仰の中核となる信念に忠実である限り、自らの法律を周辺の世界に適応させることができる。 | |||
禁欲主義(Asceticism) |
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なし | 唯物論的な追求は、神の真理から我々を盲目にする。贅沢をせずに質素な生活に身を捧げてこそ、精神的な悟りを得ることができるのだ。 | ||
占星術(Astrology) |
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なし | 夜空は、神の領域に通じる窓である。そこには世界の偉大なる秘密や神秘が記されていて、どこを見ればいいのかを知っていれば、誰でも学ぶことができる。 | ||
肉欲の法悦(Carnal Exaltation) |
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なし | 肉の悦びは地上に存在する他のいかなる体験をも超越しているという点で崇高なものであり、我々を神へ近づける。我々は己の性欲を讃え、それを満たす機会を追い求めなくてはならない。 | ||
共同のアイデンティティ(Communal Identity) |
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なし | 我々の信仰と文化は本質的に結びついている。このやり方は、外国人を排除する傾向があるが、我々のコミュニティの絆を強める。 | |||
聖餐(Communion) |
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教義の宗教指導者がなし(None) | 我々の儀式は単なる象徴的なものではない―神の存在そのものを呼び起こすものである。実際に我々の儀式に参加できない、もしくは参加しない人々は、真の信者ではない。 | ||
神統結婚(Divine Marriage) |
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教義の血族関係(consanguinity)が無制限の婚姻(Unrestricted Marriage) | 神の血が王と女王の血筋に流れている。私たちの血統を純粋に保つことは、一族の統治が何世紀にもわたって続くことを保証するための最良の方法である。 | ||
神権国家(Ecclesiarchy) |
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教義の宗教的態度が多元主義 | 聖地は単に神聖な場所というだけではない——宗教的指導者たちが支配する権力の座そのものである。 | ||
秘教(Esotericism) |
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なし | 神の大いなる神秘は人間の理解を超えているかもしれないが、それは無知の言い訳にはならない。彼らの存在そのものが、私たちに周辺世界の知識と理解を求めさせる。 | |||
グノーシス主義(Gnosticism) |
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知識を通して、全人類の中に宿る神性の光が解放され、霊的世界の本来の故郷へと帰還できるかもしれない。 | ||
律法主義(Legalism) |
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なし | 我々の律法は、何世代にもわたる英知と信仰の賜物であり、これに従うことは、その性質上敬虔な信仰によるものだ。罪人は、誰であろうと、決して法を越えることはない。 | ||
托鉢修道会(Mendicant Preachers) |
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快楽主義の信条 | 宣教師たちは袈裟を着たままあちこちを旅行する。彼らは訪れた人々の寛大さに頼って暮らし、見返りとして真なる信仰の知識を分かち合う。 | |||
修道生活(Monasticism) |
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快楽主義の信条 | おいしい食べ物や飲み物の喜びは、我々を神への奉仕から反らすだけだ。こうした誘惑を避けるには、人里離れた修道院に身を寄せるのが一番である。 | ||
自然原始主義(Natural Primitivism) |
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文明というのは不自然なものであり、本質的に無秩序な被造物に秩序を課そうとする人間による無益で冒涜的な試みである。我々は裸体主義にならい、[PantheonTerm]の意図したとおり野生で自由に生きる。 | ||||
ポリアモリー(Polyamory) |
婚外性交渉(extramarital relationships)からのペナルティなし |
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我々の互いへの愛は、[FertilityGodName]の我々への愛と同じく無条件であるべきだ。我々は一人の人間が別の一人の愛情を専有するという時代遅れの考えを捨てねばならない。 | |||
力の追求(Pursuit of Power) |
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なし | 何が正しく何が正しくないかは、現在権力を握っている人々によって定められる一時的なものだ。即ち、権力を追求することこそが唯一の真なる正義の理由だということだ。 | |||
宗教法(Religious Law) |
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なし | 神学的な議論と法律的な議論の境界は薄く、宗教的な性質は世俗的な和解の中で考慮されうるし、考慮されるべきである。 | ||
食人儀式(Ritual Cannibalism) |
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なし | 人類は神の輝きを授かり祝福を受けている。したがって、人間の肉は神聖であり、その存在は、埋葬されたり焼かれたりするのではなく、味わうべきものである。 | |||
祝祭儀式(Ritual Celebrations) |
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なし | 神への崇拝は、我々のコミュニティの中で高められ、共有されるものである。神様を称え、賛美する祭礼を行うことで我々は一つになる。 | ||
聖なる嘘(Sacred Lies) |
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なし | 嘘は存在するものの中で最も奥深い芸術だ。自分の嘘を他人に納得させることができる者は聖人である。自分自身にうまく嘘をつくことができる者は誰にも止められない。 | ||
聖なる自然(Sanctity of Nature) |
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なし | 自然界は神の創造物であり、我々はその中の客人にすぎない。我々は、すべての木、すべての動物、さらには地面そのものに敬意を表し、称えなければならない。 | |||
非信徒への課税(Tax Nonbelievers) |
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なし | 兵役は信仰する者だけのものであるが、信仰しない者には、その保護のため税金が課せられる。 | ||
揺るぎない信仰(Unrelenting Faith) |
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なし | 我々の信念は強固であり、我々は信仰のために喜んで戦い、死ぬだろう。どんなに不利な状況にあっても、降伏してはならない。 | |||
貧困の誓い(Vows of Poverty) |
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なし | お金は人の心を堕落させ、真の信仰から遠ざける。本当に大切なことに集中するためには、物質的な富の獲得を避けなければならない。 |
制限付きの条件[編集 | ソースを編集]
以下の信条は特定の宗教でのみ利用可能なものです。
信条 | 効果 | 美徳 | 罪 | 最大信仰点コスト | 宗教 | 要求事項 | 説明 |
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精霊憑依(Adorcism) |
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500 |
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この世界の精霊たちは善と悪、両方の行いに携わることができる。精霊たちを尊敬し崇拝することで、彼らが我々に善をなし、我らが敵に悪をなすように願うほかはない。 | |||
アレクサンドリアの教理問答(Alexandrian Catechism) |
+20% 月間の学識ライフスタイルの経験値 | 1000 | キリスト教 | 教義の宗教的態度が原理主義(Fundamentalist) | アレクサンドリア教校は、神学者が物事を批判的に考え、現状に疑問を持つことを奨励する長い伝統を持っていた。
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祖先崇拝(Ancestor Worship) |
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500 | すべての原始宗教 | なし | 私たちの祖先は、墓の向こうから私たちを見守り、私たちを導き、前進の道を教えてくれます。それ故に、私たちは彼らを尊重し、称えなければならない。 | ||
反偶像主義(Aniconism) |
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すべてのアブラハム宗教 | なし | 偶像崇拝はあまりにも多くの人々を神聖な真実から遠ざけてきた。我々はすべてのイコンを聖なる場所から追放し、信仰者がその罠に陥らないようにする。 | ||
武装した巡礼(Armed Pilgrimages) |
|
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我々の巡礼者は、聖地を訪れるため、世界中を旅するだろう——私達は喜んで彼らの巡礼を妨げるいかなるものも排除する剣となろう。 | |||
幸運の子(Auspicious Birthright) |
500 | ウラル原始宗教 | なし | 我々は皆が運命とともに生まれてくるが、最も重要な運命とはタールトシュの運命である。タールトシュとは魔術的な力を行使し、偉大なる神秘的指導者となるために選ばれて誕生する者たちのことだ。 | |||
バクティ(Bhakti) |
「バクティを決定する(Determine Bhakti)」のディシジョンを有効化 | 1000 | ヒンドゥー教 | なし | 人間は神の栄光に完全に応えることはできないが、神の一面を選択して見習い、崇拝し、献身することで、他の方法では不可能なほど神に近づくことができる。 | ||
儀式的自殺(Ritual Suicide) |
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なし | 年をとったり病気になったりすると、罪の魂を清める儀式を行なう。それが終われば、私たちは人生を早く確実に終わらせ、罪が私たちに再び感染する機会を与えないようにする。 | ||
ダルマ的平和主義(Dharmic Pacifism) |
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我々は皆、宇宙秩序の一部である。何かに対する暴力は、自分自身を含めた全てのものに対する暴力だ。 | ||
快楽主義(Hedonistic) |
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二元論を除く全ての宗教 |
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神はこの世界を、神がこの世界を、私たちが夢中になって楽める豊潤な喜びで満たしてくれたーこのようなことに加わらないということは、神の創造そのものを軽んじることなのだ。 | ||
人身御供(Human Sacrifice) |
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我々の献身を証明する最良の方法は、犠牲の行為である。我々が提供できる最も価値ある犠牲は、人命の犠牲だ。 | |||
内なる旅(Inner Journey) |
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500 |
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なし | 自らを理解することによってのみ、我々は世界を理解することができる。自己探求の旅は長く困難だが、重要なことなのである。 | ||
直解主義(Literalism) |
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すべてのアブラハム宗教 | なし | 私たちの聖典には神の意志が明確に記されており、人間の解釈は限られた価値しか無い。 | ||
平和主義(Pacifism) |
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暴力は、苦しみ、痛み、後悔をもたらすだけの忌まわしい行為だ。できるだけそれを避けようと努力することで、より強く、より安全な社会を築くことができる。 | ||
のどかなる孤立(Pastoral Isolation) |
500 | キリスト教 | 我々が望むのはただ孤立していることである。我々の習わしは我々自身のものであり、他者の習わしが我々のものでないのと同様に、我々の習わしは他の誰のものでもない。 | ||||
転生(Reincarnation) |
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なし | 我々はこれまで多くの人生を生きて来たが、これからも多くの人生を生きて行くだろう。すべての死は、新しい何かの始まりに過ぎない。 | |||
賓客歓待儀礼(Ritual Hospitality) |
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なし | おもてなしは、人類が示すことができる最高の美徳の一つである。我が家への来客は、人間であろうと神であろうと、常に最高の名誉と敬意をもって待遇されるべきだ。 | |||
神聖なる分娩(Sacred Childbirth) |
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500 |
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なし | 母親が出産する浴場は清潔にし、適切な儀式を準備して、出産のとき神が我々に恵みを与えてくださるようにしなければならない。 | ||
偽装改宗の是認(Sanctioned False Conversions) |
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キリスト教を除く全て | なし | 生命が脅かされているのであれば、真の信仰を心に留めている限り、偽りの信仰を告白してもよい。 | |||
鳥葬(Sky Burials) |
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500 |
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なし | 死者を地中に投獄すべきではない——鳥に食べられるようにした方がはるかに良いことであり、この惜しみ無い最後の行為によって、自らを育んだ世界に糧を供給するのである。 | ||
苦闘と服従(Struggle and Submission) |
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なし | 神の意志はすべての善性の源であるため、善き存在というものはその意思への服従に基づいており、服従の営みの中、もがき苦しむことによって善き存在であることが示されるのである。 | |||
太陽崇拝(Sun Worship) |
1000 | ズンビール原始宗教 | なし | 光をもたらす者、生命を与うる者、永遠に燃え盛る炎——かれは天空にありて、この世界の真の統治者たる者である。 | |||
好戦主義(Warmonger) |
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信仰と戦争は手を取り合って行われる。神の名の下に戦うことを拒否する者は、真の信者とは呼べない。 |
習合主義[編集 | ソースを編集]
すべての宗派は習合主義(Syncretism)を選択することができます。これは少なくとも一つの美徳と罪を別の宗教から借用し、それを選択したすべてのキャラクターにお互いに+30の 評価を与えます。また相手の信仰が自身の現在の宗派を邪悪(Evil)とみなしたり、逆にこちらがみなしたりすることがなります。それぞれの宗派はただ一つの習合主義の教義を持つことができ、自分の宗教に影響を与える教義を持つことはできません。
東方習合主義は評価ボーナスを提供しません。また東方宗教のどの宗派も特定の宗派を邪悪とみなさないため、東方習合主義は東方宗教の宗派への宗教的敵意には影響を与えません。